地唄舞の解説(1)

高砂 鶴の声
葵上(一中節) 葵の上(地唄) 芦刈 綾衣 いざや 芋頭 浮舟
善知鳥 梅の花笠 縁の綱  越後獅子  おちゃ乳人 落し文 おぼこ菊 扇づくし
鉄輪 鐘ヶ岬 通う神 桐の雨 菊の露 京の四季 黒髪 古道成寺
小簾の戸 ぐち 寿 口切 祇園小唄
三国一 櫻姫 十三鐘 しゃべり山姥 猩々 すり鉢 世界 袖香炉
袖の露 松竹梅 十二月 新道成寺 住吉 新松尽くし
大経師昔暦 たぬき 館山 珠取海士 竹生島 茶音頭
長刀八島 菜の葉 名護屋帯 流しの枝
東山 文月
松襲 万歳 正月 水鏡 都若衆万歳 松尽くし
八千代獅子 邪馬台 ゆかりの月 淀川 山姥
長唄
菊尽くし 藤の花 藤娘 新曲浦島

さて、初めてお扇子を開ける人も、他流で何年修行なさった方も「高砂」からお稽古します。角度の取り方、お腰の入れ方、足の運び、目の使い方など、基本が一通りお勉強できるようになっています。中には、1年以上これ一筋にお稽古なさる方もいます。
私のワークショップや体験教室では毎回取り上げております。

地唄:「高砂

高砂や この浦舟に帆をあげて 月もろともに出で潮の  浪の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はや住江につきにけり はや住江につきにけり。
 (解説)能の「高砂」の一節からとったもので,結婚式などで良く唄われるので
ご存知の方も多いと思います。兵庫県の高砂の浦から大阪の住吉までの航海を謡ったものです。

「高砂」が終わりますとそれぞれお師匠さんによって違いますが「鶴の声」などをいたします。これも吉村の基本,関西の流派に多く見られる首の使い方などが入っています。

地唄 :「鶴の声

軒の雨 立ち寄る蔭は難波津や 葦葺くやどの しめやかに 語りあかせし可愛いとは 嘘か誠か その言の葉に 鶴の一声幾千代までも 末は互いの共白髪
   (解説)これもご祝儀もので夫婦がいつまでも仲良く共に白髪の生えるまで長生きするようにという意味のことを唄ったものです。


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        地唄 「黒髪」

黒髪の 結ぼれたる 思いには 解けて寝た夜の 枕とて 独り寝る夜の仇枕 袖は片敷く妻じゃと云うて愚痴な女子の心も知らず しんと更けたる鐘の声昨夜の夢の今朝覚めて 床し懐かしやるせなや積もると知らで 積もる白雪
(解説1) 長唄の「黒髪」と歌詞はほぼ同じで出来たのも同じ頃ですが どちらが先に出来たかは両説あります。曲調はかなりちがい、振りも上方の味が色濃く出ています。独り寝の女の悲しく、切ない思いが長唄とは違い地唄舞らしく内に抑えた女心の陰影が繊細に表現されています。
(解説2)この曲は、もともと「大商蛭小島」という芝居のめりやす(下座音楽)で湖出市十郎作曲とされている。芝居では、伊藤の娘辰姫が、恋慕っている頼朝が2階で政子と逢っているのをじっと耐え忍んでいるという凄艶な場面でいわゆる歌舞伎の髪梳きの場の下座音楽として使用された。
これが地唄に移され舞となると、芝居に関係なく、孤閨(一人寝)の淋しさ,恋のせつなさを描く内容となる。 唄いだしの歌詞で「黒髪の 結ぼほれたる・・・」は黒髪が結ばれて解け難くなったような二人の間のわだかまり(愛の猜疑心)も解けて、 という意である。そういう日もあったのに独り寝の夜は一層淋しく辛い、ということなのである。  終わりの「積もるとしらで積もる白雪」に、清浄な雪の朝を眺める女心に諦観の哀しさをみる。

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地唄 「ゆかりの月」

可愛い男に逢坂の関よりつらい世のならい 思わぬ人にせきとめられて 今は野沢の一つ水 すまぬ心のなかにもしばし 住むはゆかりの 月の影 忍びてうつす窓の内 広い世界に住みながら せもう楽しむまこととまこと こんな縁が唐にもあろか 花咲く里の春ならば 雨もかおりて名やたたん
 (解説)  鶴山勾当の名曲で哀愁の趣に満ちた曲である。「思わぬ人にせきとめられて・・」で意中の人ではない人に身請けされて暮らしている女性が、今となっては恋人と逢瀬を楽しんだくるわが懐かしいと述べている。「すまぬ心の中にもしばし・・」と何時もは心は曇りがちだが月を仰ぐと、かつて郭で恋人とともに見た思い出で心が晴れてくると唄う。 「すむ」は「澄む」と「住む」の双方ににかけて、心の中にゆかりの人の面影が住んで意を表現している。
3世中村歌右衛門が「夕霧」を演じた時、この曲を下座音楽に使ってポピュラー化したが、それ以来、この曲は女舞とともに、伊左衛門の心情を描く男舞の方でもまわれるようになった。
吉村はさらに、お茶屋のおかみや、芸者が昔こんな話があったとして、女型のまま伊左衛門の心情を舞う形を取っている。

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地唄 「東山

 作詞・頼山陽。 編曲・鶴岡検校。

 蒲団着て 寝たる姿は古めかし 起きて春めく智恩院 その楼門の夕暮れに 好いたお方に逢いもせで 好かぬ客衆に呼び込まれ 山寺の入相つぐる鐘の声 諸行無常はままの川 わしは無上に のぼりつめ 華の頂どれいてみよう 花は 移ろうものなれど 葉こそ惜しけれ 惜しけれ葉こそ 緑のめだち色深見草
 (解説)「蒲団着て 寝たる姿・・」と服部嵐雪の京都嵐山を詠んだ有名な俳句を引き、春宵一刻は寝るより起きてそぞろ歩きこそ価値ありとして、智恩院楼門の春の夕暮れを能の「道成寺」の一節によって叙し、ついで花の移ろいに、ままならぬ世界に生きる女の真情をのぞかせている名曲といえる。「東山」のように、嵐雪の句を使った地唄はほかに「大仏」があるが、これは「東山」とは逆に一番最後に引用している。

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   地唄 「雪」

 花も雪も 払えば清き袂かな  ほんに昔のむかしのことよ わが待つ人も我を待ちけん 鴛鴦の雄鳥にもの思い羽の凍る衾に鳴く音もさぞな さなきだに心も遠き夜半の鐘 聞くも淋しき独り寝の 枕に響く霰の音も もしやといっそせきかねて 落つる涙のつららより 辛き命は惜しからねども 恋しき人は罪深く 思わぬ ことの悲しさに 捨てた憂き  捨てた浮き世の山蔓
(解説)地唄の中の端唄物の名曲として有名な曲。天明の頃 流石庵羽積作詞、峰崎勾当作曲と伝えられています。大阪で或芸妓が想う男に捨てられたのを慰める為に作ったとか、その芸妓が世をはかなんで出家した心を描いたと云われていますが、文句にも作曲にもどこか厭世てきなところがあり、同時に雪の夜の淋しさ,冷たさ、が身に沁みて感じられます。「夜半の鐘」の次の合いの手は作曲者は「鐘」の音を象徴したつもりらしいのですが、しんしんと降り積もる雪のかんじを良く出しているので、広く三味線音楽全般に応用され、雪というと必ずこの手が用いられるほどに普及しています。
振りは早くから付けられ地唄舞の代表的なものになっています。雪の降る夜半にしんみりと聞こえて来る鐘の音に独り寝の侘しさがひしひしと身に迫るという、凄艶な気分を出すのがねらいとなっています。 腰のすわりを始めとして、首、肩、爪先、裾さばき等の一点一画をおろそかにしない鮮やかさ、的確と精緻と優美さを一挙手一投足の末端まで透徹させるという特色は、特にこの曲の場合などもっともよく発揮されるもので、始めの傘の扱い方なども象徴的な振りの滋味を充分に味わわせられるように出来ています。

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上方唄 「京の四季」

春は花 いざ見にごんせ東山 色香あらそう夜桜や うかれうかれて 粋も不粋も物がたい 二本ざしでも柔らこう 祇園豆腐の二軒茶屋 みそぎぞ夏は うち連れて 川原につどう夕涼み よいよいよいよいよいやさ
真葛が原にそよそよと 秋ぞ色ます華頂山 時雨をいとう唐傘に濡れて紅葉の長楽寺 想いぞ積もる円山に 今朝も来て見る雪見酒 エエ そして櫓のさしむかい よいよいよいよいよいやさ


(解説) 幕末の頃できたと想定され、いわば京都の郷土舞踊ともいうべきもので、ヨイヨイヨイヨイヨイヤサといった囃子言葉が音頭風の曲と相俟って、上方唄らしいものである。曲の内容は祇園を中心とした京都の四季折々の景物を唄い込んだもので春は桜花爛漫の東山、夏は鴨川の夕涼み,秋は紅葉散る長楽寺,冬は円山の雪景色などを描いている。陽気でいて上品な座敷舞踊として、舞妓姿での都おどりで親しまれているが、東京でも江戸端唄として取り入れられている。

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地唄 「珠取海士」

よしや行方はいずくとも 定め無き世や浮き雲の はれぬ心や黒髪の 乱れて今朝はものをこそ 思い重ぬる八重一重 九重の空ほのぼのと明石の浦の浦浪に  たち隔て来し故郷の 恋しさ今さらに 花も紅葉もつき雪も なれし都をいかでかは 浮かれ出でなん事もや いつか嵐の風に誘われて 夢か現かたどりゆく  迷い狂いて讃岐潟しどけなり振り志度の浦   万戸将軍といいし方 面向不背の珠を竜宮へ取られしが 大職冠は御身をやつ し賤しき海士の磯枕 妹背言葉に末かけて 女の命捨て小舟 一つの利剣を抜きもって  かの海底に飛びいれば 空は一つに雲の波 煙の波をしのぎつつ 海満々と分け入りて 直下と見れども底もなく 取り得んことは不定なり  我は別れてはや行く水の 浪のあなたに我が子やあるらん 父大臣もおわすらんと 涙にくれていたりしが また思い切りて手を合わせ 南無や志度寺の観音薩埵の  力を合わせてたび給えとて 大悲の利剣を額にあて 竜宮の中に飛びいれば 左右へぱっとぞ退いたりける その隙に 宝珠を盗み取って 逃げんとすれば守護神追いかく  かねて企みし事なれば もちたる剣を取り直し 乳の下をかき切り 珠を押し込め剣を捨ててぞ伏したりける 竜宮のならいに死人を忌めば あたりに近づく悪竜なし  約束の縄を動かせば 人々喜び引き上げたりけり 珠は知らずあま人は海上に浮かび出でにけり
(解説)作詞・作調とも、さらさや新兵衛 能の「海士」によった本業物で、原曲は、今は大臣となった藤原房前が亡き母を思い讃岐の 志度の浦を訪ねる。 そこへ一人の海女が現れその昔この地で藤原淡海公と契り一子が生まれたが淡海公に我が子の将来を約 束させ、一身を犠牲にして深海に潜り龍神の手から面向不背の宝珠を取り返した話をする。 わが母の亡霊とわかった房前公は懇ろに弔うという内容で「志度寺縁起」に伝えられている。舞は「よしや行方は」から傷心の道行、「迷い狂いて」か ら淡海公との出合と宝珠奪取を決意した回想、 続いて、「ひとつの利剣を」と能の「玉の段」を取り入れた悲壮な母性愛に 満ちた場面が展開する。はじめの海女の悲しい語りそして後段の母の情念の激しさ、この静と動との対照が圧倒的である。

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地唄 「邪馬台」

 小野 衛 作曲/ 田中儀一 作詞

筑紫 日向 紀の国か 日の皇子いまし 邪馬台は  空の彼方か はた海原に 消え去りし夢の国 幻の国 
最近作られた曲であまり知られていませんが、いかにも幻想的な曲です。  曲想に合わせて昂扇が振付けました。


地唄「善知鳥」

鹿を逐ふ漁師は、山を見ずといふ事あり。 身の苦しさも悲しさも、忘れ草の追鳥、高縄をさし引く汐の、末の松山風荒れて、袖に波超す沖の石、または干潟とて、海越しなりし里までも、千賀の塩竈身を焦がす、報ひをも忘れける、事業をなしし悔しさよ。そもそもうとう、やすかたのとりどりに、品変りたる殺生のなかに無慚やなこの鳥の、おろかなるかな筑波嶺の、木々の梢にも羽を敷き、 浪の浮巣をも掛けよかし、平沙に子を生みて落雁の、はかなや親は隠すと、すれどうとうと呼ばれて、子はやすかたと答へけり、 さてぞ取られやすかた。
 うとう。
 親は空にて、血の涙を、親は空にて血の涙を、降らせば濡れじと、菅蓑や、笠をかたぶけ、ここかしこの、便りを求めて、 隠れ笠、隠れ蓑にも、あらざれば、なほ降りかかる、血の涙に、目も紅に、染めわたるは、紅葉の橋の、鵲か。  娑婆にては、うとうやすかたと見えしも、うとうやすかたと見えしも、冥途にしては化鳥となり、罪人を追つ立て鉄の、 嘴を鳴らし羽をたたき、銅の爪を磨ぎ立てては、眼を掴んで肉を、叫ばんとすれども猛火のけぶりに、むせんで声を上げ得ぬは、 鴛鴦を殺しし科やらん。逃げんとすれど立ち得ぬは、羽抜け鳥の報ひか。うとうはかへつて鷹となり、われは雉とぞなりたりける、 遁れ交野の狩場の吹雪に、空も恐ろしい地を走る、犬鷹に責められて、あら心うとうやすかた、安き隙なき身の苦しみを、  助けて賜べや御僧、助けて賜べや御僧と、言ふかと思へば失せにけり。
 (解説)能の「善知鳥」から取ったもので、陸奥外の浜への途次、立山に立ち寄った僧が、
地獄そのままのような恐ろしい光景を見て下山すると、一人の老人が現れ外の浜で亡くなった猟師の遺族を訪ねて、自分を供養するよう伝言して欲しいと言い、これを証拠にと着衣の片袖を引きちぎって渡し姿を消す。僧は外の浜でその妻子を訪ねる。残されていた衣に袖はぴたりと合った。弔いを受けて猟師の亡霊は姿をあらわす。子の鳥を殺した報いで、我が子の髪をなでようとしてもはたせない。親が「うとう」と呼べば子は「やすかた」と答える。子の鳥の習性を利用して猟をしていたこの者は、生前の所業を再現して見せた後、地獄の責め苦として、雉になった自分が鷹になった善知鳥に追われ逃げ惑う姿を見せて、僧に助けを乞う。

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地唄「鐘ヶ岬」

 鐘に恨みは数々ござる 初夜の鐘をつくときは 諸行無常と響くなり  後夜の鐘を撞くときは 是生滅法と響くなり 晨朝の響は生滅滅為 入相は寂滅為楽と響くなり  聞いて驚く人もなし 我も五障の雲晴れて  真如の月を眺めあかさん 言わず語らずわが心   乱れし髪の乱るるも 情無いは只移り気な どうでも男は悪性者 桜桜と唄われて 言うて袂のわけ二つ  勤めさえ ただうかうかと どうでも女子は悪性者 都育ちは蓮葉な者じゃえ   恋のわけ里 数え数えりゃ  武士も道具を伏編笠で 張りと意気地の吉原   花の都は唄で和らぐ敷島原に 勤めする身は誰と伏見の墨染 煩悩菩提の撞木町より   浪花四筋に通い木辻に 禿立ちから室の早咲き それがほんに色じゃ 一イ二ウ三イ四ウ  夜露雪の日 霜の関路も共に此の身を 馴染み重ねて中は円山ただまろかれと  想いそめたが縁じゃえ
(解説)鐘が岬。荻江では「鐘の岬」という。長唄『京鹿子娘道成寺』から地唄に直し、 深見検校が筆の手をつけた。
一人立ち。能の『道成寺』が演劇性、舞踊性の濃いものであるから、 早くから、いろいろの俳優によって、何十種も踊られたが、宝暦三年江戸中村座で、 初世中村富十郎が踊った『京鹿子娘道成寺』が大好評で、これが他を圧して、決定版的に見られた。 宝暦九年、大阪に帰った富十郎が、角の芝居で、並木正三による『九州釣鐘岬』の中で踊ったが、 大阪なので、その地方を地唄にした。もっとも、通し狂言の中なので、白拍子実は何々という役名 であったが、それが独立して残ったのがこれである。本文は山づくしが少しちがっているほか、 ほとんど長唄と同じで、鐘入りまであるわけだが、現在は「鐘に恨みは…」から「思いそめたが縁 じゃえ」までが唄われている。『道成寺』一曲の中で、もっとも艶治な廓の描写だけに、他の地唄 と違って華やかなものである。
(解説2)地唄の道成寺ものの代表曲です。 「鐘に恨みは・・」に始まり「真如の月を眺め明かさん」までは仏教的な言葉が多いが、要は、 鐘の音を通じて現世の迷いを解脱した清浄心を、次の「言わず語らぬ」から一転,遊里の艶事を描き 廓づくしの手まり唄へ。いわば”女の生涯”を表現するものです。

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 上方唄 「いざや」

 いざや行きましょ住吉へ 芸者引き連れて 新地両側華やかに沖にちらちら帆掛け舟 一艘も二艘も 三艘も四艘も五六艘も おや追風かいな ええ港入り 新造船
 障子あくれば 差し込むまどの月明かり とぼそまいぞえ蝋燭の 闇になったらとぼ そぞえ 一丁も二丁も 三丁も四丁も五六丁も おやとぼそぞえええ蝋燭を しょん がいな


(解説) 作詞・作曲未詳。山村流は二世山村友五郎の振付。   楳茂都流は初世楳茂都扇性振付。吉村流は初代吉村ふじ振付。一人立ち。大ぜい立ちも。約六分半。
この曲は、もともと大阪新町の廓あたりの流行唄であったようだ。歌詞の「いざや行きましょ住吉へ」の “住吉”は住吉大社のことである。住吉詣は端唄や上方落語の素材にもなっているが、上方で盛んである。 特に大阪の新町の廓は氏子として、六月の御田植神事の“植女”や、十月の宝之市神事の“市女”などに、 古くから奉仕していて関係が深い。住吉詣には、新町から船で、長堀川、木津川を経て沖に出てから、 住吉浜に上陸して参詣するのが普通のコースであった。それがこの背景になっていて、芸妓達の乗った 船の陽気な気分が、この二上がりの曲調に反映している。文久二年刊の『粋の懐』に所収されているが、 化政期には既に廓の遊興の座で流行していたと思われる。というのは、二番の歌詞が、文政五年刊の 『浮れ草』の“ばれ唄”の部に「蝋燭」として所収されているものと同じであり、この“蝋燭をとぼす”  という言葉が、性事を表現する隠語であるところから、当時の酒席の唄であったと考えられるからである。 『いざや』は、歌舞伎の『夏祭浪花鑑』の「住吉鳥居先の場」や落語の『住吉駕籠』の下座音楽に用いられている。 舞はお座敷唄の華やかさを中心にしながらも、いかにも上方風の雅趣ある舞に仕立ててあり、扇も小ぶりのものを使う。

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上方唄 「愚痴

愚痴じゃなけれど これまあきかしゃんせ たまに逢う夜の楽しけば 逢うて嬉しさ別れのつらさ ええなんのからすがええ意地悪な おまえの袖とわしが袖 合わせて歌の四つの袖 路地の細道駒げたの 胸驚かす明けの鐘
(解説)芝居唄に出来たものらしいが、特に初世中村鴈治朗が十八番物の一つ「梅川忠兵衛」の井筒屋でよく使われたので有名である。遊女が好きな人とあったまではよかったが、すぐ明けの鐘、もう細い路地を人の行き来する駒げたの音がするという艶っぽさがよく出ている。駒げたは湿地用の庭下駄から出たもので、婦女がもっぱら外出用に使っていたもの。偶々あったうれしさも明けの鐘がなって路地を人が通る音を聞いて、もう別れの時分かと胸を轟かせるという千万無量の情調が見所。

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