地唄の解説ー9
   
水鏡  扇尽くし  新道成寺  松竹梅 
八千代獅子 竹生島 万歳


地唄 水鏡

ひとめも知らぬ男なら、恨みも恋も有るまいものを、 なまぜ近江の水鏡、写して見れば水底は、かたい堅田の石山にきつうのせたに、わしゃのせられて、 思ひすごしは、我からさきの、一ツまへ帯しどけない振りよ、仮令あはずと三井寺の、かねては思ひいる 崎の、矢橋の風に、ひらの雪くれ、実なれどもいたずら髪の、いふに云われぬ世の中の、人のうわさも七十五日、 浮名きのどくの山ほととぎす、はてさうぢやはへ、はてさうぢやはへ、末はひとつのもとの水


地唄 扇づくし

花の色は 移りにけりないたづらに、これ見よがしと殿中で、 互いに濡れし袖扇 顔は緋扇あこめせん、なむいわもとのみやしろや 口説扇のきれいせん なかよさそうに八重一重 千代の舞鶴 写し絵や 扇の数はつきねども いけ開けば天が下 皆春なれや 萬代の なお 祝わん先祖 めでたけれ
地唄 新道成寺     
花の外には、松ばかり(合) 暮れ初(そ)めて鐘や、響くらん。 暮れ初めて鐘や響くらん。(合) 鐘に恨みが かずかず御座る。先ず初夜の鐘を撞く時は、諸行無常と響くなり。 後夜(ごや)の鐘を撞く時は是生(ぜしょう)、(合) 滅法(めっぽふ)と響くなり。晨鐘(じんじょう)の響きは。 (合) 生滅(しょうめつ)、滅已入相(めついいりあい)葉、寂滅(じゃくめつ)、(合) 為楽(いらく)と響けども、我は五障(ごしょう)の 雲晴れて、(合) 真如(しんにょ)の月を眺め明(あか)さん。(合) 道成卿(みちなりきょう)は承(うけたまは)り。(合) 初めて伽藍立花(がらんたちばな)の。(合) 道成興行(みちなりこうぎやう)の寺なればとて、道成寺(だうじゃうじ)とは、 名づけたり。(合) 山寺の春の夕暮れ見れば、(合) 入相の鐘に花や散るらん。(合) 入合(いりあひ)の鐘に花や散るらん。 (合) 去るほどに、去るほどに、寺々の鐘。月落ち烏啼いて霜雪(しもゆき)天に満汐(みちしほ)、程無く日高の寺々の。 江村(こうそん)の漁火(ぎょくわ)も愁(うれ)ひに対して、人々眠れば、よき隙ぞとて、立ち舞う様(やう)にて覘(ねら)ひよつて、 撞(つか)んとせしが、思へば此の鐘怨めしやとて、竜頭に手をかけ飛ぶよと見えしが、引き担(かづ)いてぞ失(う)せにける。


 <解説>(1)戍の刻、午後八時。 (2)夜半から朝まで。 (3)諸行無常(万物は常に流転して常住しない。)、 是生滅法(これは生滅の法である。)、生滅滅已(生滅の境えお脱する。)、寂滅為楽(有為生滅の喧雑を寂滅した境は楽となる。) 以上四つの句は涅槃経の偈。 (4)女人は男子と異なって、梵天王・帝釈天王・魔王・転輪聖王・仏身等になれない。 (5)平等無差別の絶対真理。 (6)文武天皇、大宝元年勅願によって紀道成が創建の寺。 (7)新古今集、巻二、春歌下、能因法師、 「山寺の春の夕暮きてみれば入相の鐘に花ぞ散りける」。 (8)日暮の鐘。 (9)月(つき)は鐘をつくの意と月とをかけて いる。 (10)釣鐘の頭部の竜の形にしたもの。
〔解 説〕   道成寺の説話は元亨釈書からのものである。天音山道成寺は天武天皇の勅願によって大宝元年に建立した寺と言われている。 この説話は毎年仏道修行のため東北から高野山に来る安珍という青年僧があり、来ては日高川の近くの「まなごの庄司」に宿泊することにしていた。庄司には清姫という娘がいて安珍に懸想していた。安珍は清姫の情熱を怖れて夜半追げ出し、日高川を渡り、道成寺の釣鐘の中に身を隠した。清姫は狂気のあまり大蛇と化し、日高川の激流を渡り、安珍の隠れた釣鐘を七巻半まきついたところ、熱の為に鐘も山伏も熔けて消えうせたという話である。  謡曲の道成寺はその後日物語で、釣鐘再建の初日に清姫は白拍子になって現れ、釣鐘を落としてしまう。僧達の経文によって白拍子は蛇身となって日高川に退散ということになる。箏唄はこの謡曲の一部の歌詞をそのままうたっているものである。  作曲者は諸説あって明らかではないが、元禄時代、岸野治郎三が三味線曲にしたのが道成寺曲の最初で、これを古道成寺といわれ、杵屋長五郎、芳沢金七の手つけをしたのを新道成寺といわれる。   
    〔通 釈〕  花の外に見えるものは松ばかりである。暮れはじめると、寺の鐘の響が聞えてくるであろう。  鐘の響にはいろいろの恨みがこもっている。先ず印度の祇園精舎の寺の四隅の鐘の初夜の響きを聞くときは諸行無常と聞え、 後夜の鐘を撞くときは是生滅法と響くのであり、暁の鐘の響は生滅滅已と響き、入相の鐘は寂滅為楽と響くのである。 然し、自分は女性の五障の暗い雲のような迷いがはれて、真如の月が明るく照って悟を得た。道成卿は勅命を受け、 初めて寺の伽藍を建てた。道成卿が興した寺であるから道成寺という名が付けられた。山寺の春の夕暮に来てみれば、 夕暮の鐘に花が散る程まっ盛りである。かれこれするうちに、四方の寺の鐘は撞れ、月が西に落ちて烏が啼き、 霜や雪が天にいっぱいはらんで寒く、やがて日高の寺々の江畔の村の漁火も淋しく点滅してみえる。人々は眠ったので、これはよい時であるとて、 立ち舞うようにして鐘をねらって撞こうとしたが、思えばこの鐘怨めしいといって、竜頭に手をかけ飛び立つように見えたが、 その場に消え失せて仕舞った。


尺八吹きのための箏曲歌詞解明のホームページより転載させていただきました。
(http://hennaog3.hp.infoseek.co.jp/contents.html)

地唄 松竹梅 
たちわたる、霞の空をしるべにて、のどけき光新玉の、 春たつ今朝は足曳きの、山路を分けて大伴の、 三津に来啼く鶯の、南より笑ひ初む、かをりにひかれ声の麗か。羽風に散るや、 花の色香も猶し栄えあるこの里の、浪花は梅の名どころ。君が代は濁らで絶えぬみかは水、末澄みけらし国民も、げに豊かなる四つの海。 千歳限れる常盤木も、今世の皆に引かれては、幾世限りも嵐吹く音。枝も栄ゆる若緑、生ひ立つ松に巣をくふ鶴の、久しき御代を祝ひ舞ふ。 秋はなほ月の景色も面白や、梢々にさす影の、臥しどにうつる夕まぐれ、そともは虫の声々に、かけて幾世の秋に鳴く、音を吹き送る嵐につれて、 そよぐは窓のむら竹。

〔解 説〕 作曲 : 三橋勾当      松竹梅を、梅・松・竹の順に、浪花・京・江戸と組み合わせ、春の浪花の鶯と梅の花、新年の京と根引きの松と鶴に御所の風景、秋の江戸の月と虫の音、 風にそよぐ竹という組み合わせで、松竹梅が三者対称に整然と配置されている。格調高い曲調でお祝儀物によく使われる。

八千代獅子
いつまでも、かはらぬ御代にあひ竹の、世々はいく千代八千代ふる、 雪ぞかゝれる松の二葉(ふたば)に、雪ぞかゝれる松のふた葉に。

〔解 説〕 作曲 : 藤永検校    元来、尺八の曲であったものを、寛保年間の藤永検校によって三弦に移されたとも言われる。    短い前唄と後唄とにはさまれて、三段の手事があり、この手事の一部が歌舞伎音楽や長唄    などに取入れられている。なお、替手は国山勾当により作られた。
地唄 竹生島  
さる程に、これはまた勿体(もったい)なくも竹生島、弁財天の御由来、 委(くわ)しくこれを尋ぬるに、津の国難波の天王寺、仏法最初の御寺(みてら)なり。本尊何かと尋ぬるに、しょうめん童子庚申(かのえさる)。 聖徳太子の御建立、三水四石で七不思議、亀井の水の底きよく、千代に八千代にさざれ石、巌(いはほ)となれや八幡山、八幡に八幡大菩薩。 山田に矢橋(やばせ)の渡し守。漕ぎゆく船から眺むれば、女波男波の絶間より、弓手にたかき志賀の寺、馬手は船路で片をなみ、沖なる遙かを見わたせば、 昔聖人のほめたまふ、余国に稀なる竹生島。孝安天皇の御代のとき、頃は三月十五日、しかもその夜はつちのとの、己を待つ辰の一天に、 二股竹を相添えて、八声(やごえ)の鶏と諸ともに、金輪奈落の底よりも、揺ぎ出でたる島とかや。さるによって鳥居にかげし勅額は、 竹に生るる島とかく。これを竹生島とは読ますなり。弁財天は女体なれど、十五童子のそのつかさ、巌にみ腰をやすらえて、琵琶を弾じておはします。

[解 説〕 作曲 : 菊岡検校  箏手付 : 八重崎検校  竹生島にある西国三十四番札所、宝厳寺の(*)竹生島弁財天の由来縁起を歌詞としている。 (*)厳島、江の島と共に日本三弁財天の一。
 

地唄 万歳  
徳若(とくわか)に、御万歳と御代も栄ゑまします、愛嬌(あいきょう)有ける新玉の、 年立返る朝(あした)より、水も若やぎ木の芽もさき栄ゑけるは、誠に目出度候(めでたうさふら)ひける。 (合)京の司は関白殿、おり位の帝、 日の本内裏、王は十善、神は九善、万(よろづ)やすやす浦安が、此許(このもと)に、正月三日、寅の一天に、誕生まします若恵比須、 商ひ神と祝はれ給ひて、商(あきない)繁昌と守らせ給ふは、誠に目出度ふ候ひける。 (合)野師(やしょ)め野師め京の町の野師め、 売(うつ)たる物は何々、大鯛小鯛鰤の大魚(おほうを)、あはび蠑螺(さざえ)、蛤(はまぐり)々蛤々、蛤々々めさいなと、売たる者は野師め、 そこを打過(うちす)ぎそばの店(たな)見たれば、金襴緞子(きんらんどんす)、緋紗綾緋縮緬(ひさやひちりめん) (合)繻子緋繻子縞繻子 繻珍(しゅすひしゅすしましゅすしゅちん)、種々結構(いろいろけっこう)に飾り立てて候ひしが、町々の小娘やお年の寄たる姥たちまでゆきこう有様は、 実(げ)にも治まる御代なり時なり、恵方(ゑほう)の御蔵にずつしりずつしり (合)寶(たから)も治まる、門には門松背門(せど)には背門松 (せどまつ)、そつちもこつちも、幾年(いくねん)のお祝ひと、御代ぞ目出度き。

[解 説〕 作曲 : 城 志賀 「二上り端歌物」といわれる三味線の組歌である。『万歳』とは、正月などにまわってくる    三河万歳や大和万歳のことであるが、これは、もともと『千秋万歳(せんずまんざい)』といって宮中で行われていたもので、 そうした色々の万歳歌をつなぎ合わせて歌詞としてある。にぎやかな旋律で、義太夫節その他の三味線音楽の万歳ものに、色々と取り入れられている。 十九世紀の初めに、この三味線の曲が市浦検校によって箏曲化された。三味線の旋律に対して箏が替手になる形式で作曲し、 しかも当時オランダから渡来したオルゴールにヒントを得たという特殊な調弦になっている。これを「オルゴール調子」とか「オランダ調子」といい、 曲名も『オランダ万歳』(市浦検校(箏オランダ)手付)といった。 詞章前半は、大和万歳の『柱立て』及び『恵比須舞』。「やしょめ・・・・・」以降は、禁中千秋万歳歌から出た『京の町』という、大和万歳の歌。
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