地唄の解説ー5

 「大経師昔暦」  「櫻姫」  「松襲」  「落し文」

上方浄瑠璃「大経師昔暦」
大経師昔暦より
中島勝祐作曲

結ぼれて、なまなか辛き乱れ紵の、おさん、茂平衛は夢にだに、恋せぬ中の恋となり、 連れて走りしその日しも、茂平衛が肌の紙入れに、たった三分の兼ねてより、思いも 会えぬ旅の道。おさんの肌着、代なして、白無垢一重憲法に、裾模様ある蘆に鷺、 足に任せて奈良、堺、大津、伏見をうかうかと。 夫婦にあらぬ夫婦の様、「神仏にも人間にも疎まれ果てし身の上や」と、互いの心 恥ずかしく、顔打ち上げて顔と顔、見合わせ顔を赤めては、涙のほかに言葉なし。 「なう、茂平衛殿、とても儂らは今日あって明日ない身。命を命と思わねど、愛しや 玉はどうなりやったと、案ずるはこればかり。ただ床しいは父様、母様、なんぼ思い 諦めても会いとうござる」と咽返り、歩みかねて泣きければ。 「オゝ、会いたいはお道理。我とてもお目かけられしお主筋。お名残惜しさは同然。 おさん様、火に入り水に入ることも、定む因果と諦めて、念じたまえや南無阿弥陀。」 「南無阿弥陀仏」   二人は顔を打ち合わせ、口説き焦がれてなく涙。「由なき女の悋気故、何の咎無き そなたまで、あれ不義者と危日。遂に命の滅ぶ日」。  遂に行く道とは知れど最期日の、今日か明日かの我が身には、我のみ消ゆる 心地して、数多の人の命乞い。それを杖とも柱とも、柱暦の紙破れて。  年は十九と二十五の、名残の霜と見上ぐれば、空に知られぬ露の雨。はらはら ほろほろ、伝う涙の十方暮。蘆に鷺、裾の模様も絵に写し、筆に連ねて末の世に、語り続けて聞き及ぶ

[解説} 第5回「中島勝祐作品展」(平成14年)のために作曲されたもの。詩章は近松門左衛門が人形浄瑠璃のために作った世話物の悲劇「大経師昔暦」の中之巻と下之巻のそれぞれの切り場から作曲者のイメージにあった部分を抽出して構成したもの。
原作は京都烏丸四条下ルの表具屋、大経師以春の女房おさんが、運命のいたづらから誤って手代茂平衛と通じ、処刑された事件を脚色したもので、丁度その33回忌を当て込んで正徳5年(1715)に大阪竹本座で初演された。
時は新暦が出来て店がてんてこ舞いの十一月。以春の女房おさんから実家に用立てる金を頼まれた手代の茂平衛は主人の舅のためならと主人の判を無断で白紙に押したところを同僚に見つかります。おさんは茂平衛を庇ってくれた下女お玉に、夜も更けてから礼に行きますが、お玉から夫以春が毎夜忍んで来ると打ち明けられて、その夜はお玉と寝床を交換します。そこへ茂平衛も平素好意を持っていたお玉へ礼を言いに忍んできます。お玉の寝床にいたおさんはてっきり夫と思って肌を許すのですが、明け方近く戻ってきた以春を見て、相手が茂平衛だったことを知ります。2人はその場で逃げ出し、おさんの実家に寄った後、奥丹波に逃げて借家住まいをしますが、正月の万歳に顔を覚えられていたことから追われ、つかまってしまいます。群集に晒されて裸馬で京都に引き立てられて、遂に2人は処刑されてしまいました。
2人に降りかかる義理と人情、近松の世界は複雑な人間模様を非情にも悲しく物語っておりますが、この作品では已むにやまれぬ2人の恋情の哀れさに焦点を当て抑揚と余韻の美しい上方言葉を大切に生かしながら、上方浄瑠璃として描いている。哀れを誘う胡弓を取り入れて一段と情味あふれる作品に仕上がっている。

かずはじめ作詞
高橋翠秋 作曲
田中勘四郎作調
創作邦楽 「櫻姫」

花は咲けどもうつろなる くるる想いの櫻姫 しず心無く 袖にかかりし花びらの 涙のかさや思い返せば仇桜 手折るをとめし宮人に見初めし色の初桜 恋の闇路の狂ほしく
娘の姿に空蝉の もとより口は聞けねども 詩歌管弦いと雅なる舞が袖 
傍にあがりて 桜桜とはやされて 嬉しき日々の花つづり 小町 楊貴妃 桐がやつ 糸し糸しと糸桜 色は緋桜 しだれていとう 闇にあやなす紅梅桜 待てど来ぬ日の遅桜 君の情けは薄桜 花はとりどり見事に咲けど蝶は菜種が好きといい なんなん菜種に花摺り衣 君に契りし筒井筒 我は咲くもあえなき夢桜 君が所望の白拍子 
恋の成就の叶わぬ時は 身は白露か さもなくば君が命とひきかえに再び戻る家桜
あな恐ろしの二道は右手に扇 心に邪険 ざわめく梢 はらはらはっと 千々に乱るる花曇 は刻の声
己が罪業におののきて紅蓮の焔 めらめらめらと 赤き夕陽に散る花の 只頼め しめじが原のさしも草  散り来る散り来る 裁きの庭に一期の夢と花吹雪 姿は天に失せにけり


[解説}
学校で上演できる作品をと、アンデルセンの童話「人魚姫」のお話を桜の精のお話に移したものです。 平成6年6月、第1回「新・日本音楽抄」国立小劇場にて初演。

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一中 「松襲」
松根によれば緑深し   萬花ひらけて御代の春   有難や民も恵みの永き日に   植えそめ給ふ御神も   夫婦と現じ相生の   松は目出度き世のためし   二葉の色に末かけて   五葉に擬へ里の名も   五三の君が昔より   勤めと言ふも品かわる   中に姫松とりなりさへも   初音ゆかしきうぐいすの   まだ床なれぬやぶの梅   あられふるらし深山のあられ   千代の古道幾代ふる   庭のたき火や神楽唄   文にも松の色見へて   屠蘇の香匂ふさかづきも   はや住之江や高砂の   松は太夫の八文字   すそにかすみの禿松   通ふ千鳥か恋の海   あいたいのはたうちこして   松を花とはさりとはさりとはなふ   よい首尾の松うれしさの   君と子の日の小松曵   みやび交わして松襲   うら紫もかごとなる   松も舞子のざざんざ   浜松風の音はざざんざ   丁固が夢の迎ひ酒   ほのぼのの磯きぬぎぬに   また十返りの約束も   心浮き立つ若緑   緑と栄へさかふなる   十八公の装いに   千歳の操をあらわして   変わらぬ色の睦し月   萬々歳とぞ祝しける

[解説] 栄思(三升屋二三治)作詞。初世菅野序遊作曲。 1806年(文化三年)の初演という説と、1804年(文化元年)の歳旦浄瑠璃が初演という説があります。 この曲は千年も変わらずに栄える松の命を讃えた御祝儀曲です。 謡曲の「高砂」「老松」をヒントを得て、松のめでたさをうたっていますが、それに寄せて遊女達の様々な様子を表現しています。


地唄  落し文(おとしぶみ) 
いづ方へ 啼いて行くらむ時鳥(ほととぎす) 枕の山の迷い道 聞くたびたびに珍しく いつも初音の心地して 可愛いかあいの忍び音も 尽きぬ名残の有明に きつう啼いたか朝烏

解説: 松島検校の手になる三下がりのもので、手ほどきのものとしてかなり有名な曲です。 落とし文というのは、ゾウムシ科の小型のかぶと虫が、産卵の時に、栗などの葉を横に 噛み切り、その先に卵を一つづつ産みつけ、それをきれいに巻いて筒状にし、 それが地上に落ちているのを小鳥の仕業に見立てて、時鳥や鶯の落とし文とか 言ったそうです。 文というのは昔の手紙のことで巻紙の結び文でした。  恋の想いなどの言いにくいことを書いて、道や廊下に落としておくのを落とし文と いったのです。 ですから、正確には時鳥と虫の産卵とは時期が違うのかも しれませんが、地唄としましては時鳥のほうに合わせております。


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