地唄舞の解説−3
        世界  菊の露  茶音頭   すり鉢 
        十三鐘 しゃべり山姥 名護屋帯

地唄 世界

逢いみての、 後とはいわで今ここに、誰も廓の里ことば、つい夕月と差し向ひ、 不粋と振るを引き止めて、漏らさぬ松の太夫職、新造のりじゃ間夫と客、柳は 糸にささがきの、もつれもつれし口説さえ解けてひらきし、さらばかき、人目を つつむ編笠の、茶屋や揚屋の格子先、素見ぞめきか椋鳥か、すねて見返る端女郎 衆、出口にあらぬ打ち込みに、皆河竹は瀬となりて、ここにふちなす色世界、 張りと意地の伊達くらべ

解説  上方端唄。廓の世界を唄ったもの。 吉村流では大切に扱われている演目です。 太夫と客の駆け引きやら太夫と間夫のみそか事、茶屋や揚屋で働く新造仲居、格子先をひやかして行く客など、 変わり身の面白さを楽しめます。



地唄 菊の露

 鳥の声 鐙の音さえ身にしみて   思い出すほど涙が先へ 落ちて流るる妹背の川を と渡る船の梶だに絶えて  かいもなき世と恨みて過ぎる 思わじな 逢うは別れといえども愚痴に 庭の小菊のその名に愛でて   昼は眺めて暮らしもなるが 夜々ごとに置く露の つゆの生命のつれなや憎や 今はこの身に秋の風

解説 ふくしんという人の作詞、作曲は広橋勾当である。亡き人を偲んで、悲痛な心情を述べている。 歌詞に「庭の小菊のその名に愛でて」とあるから、故人は小菊という入だったかも知れない。 庭先に美しく咲き乱れる小菊は、きくという人の名も慕わしくその花を眺めて過ごせる。   しかし夜ともなれば、かなしみは深まり、菊に置く露の、その箆のようにはかなく世を去った人を想って涙する。  秋の、もののあわれに溝ちた舞である。「妹背の川をと渡る船の梶だに絶えて」は、新古今集の曽根好忠の  「由良のとを渡る舟人梶をたえ行方も知らぬ恋の道かな」を踏まえている。 又、この哀感深い曲は、  文楽「壼坂観音霊験記」で盲目の沢市が弾き唄いしている場面に使われて広く知られている。



地唄 茶音頭

   地唄 茶音頭 世の中に勝れて花は吉野山 紅葉は立田 茶は宇治の 都の辰巳それよりも 里は都の未申 数嵜とは誰が名に立てし 濃茶の色の深みどり 松の位に比ぺては かこいというも低けれど 柄杓の竹は直ぐなれど そちは茶杓の曲み文字 憂さも晴らしの初昔 むかし話の爺婆と なるまで釜の中冷めず 縁はくさりの末長く 千代万代え

解説 作詞・横井也有。作曲・餌勢屋みほ。編曲・菊岡検校。
この曲は、俳人であった衡弁也宥が伊勢音頭に作詞したものを、歌詞を鰯めたもので、歌謁の最後の「…もえ」で終るところは伊身音頭の特色である。お妾らしい女性が、恩うようにはかどらないじれったさを、
大名道具といわれる茶の湯の遺具になぞらえてグチっているのは妙だが、囲い者という者ぱ島原の太夫にくらぺて位置は低いが、やっぱり富豪、金持ちの飾り物だと、これを誇りにしていると.ころが作者のねらいだろう。
そしてこの二人ば末長く、茶釜のかんすのくさりのように結ぱれるようと、めでたく納めてある。
近ごろこの曲で本式に茶を立てているフりもある。ふくさ捌きや茶杓の使い方が見どころの一つであり、
貴重な茶道具を痴語げんかの.言い立てに使うのにおもしろみがある。

地唄 すり鉢

   海山を越えてこの世に往みなれて 比翼違理と契りし仲を 煙を立つる賎の女が 心々に蓬わぬ日も   蓬う日も夜はひとり寝の くれを借しみてまつ山かずら 昼のみ暮らす里もがな

 解説  作詞・油屋茂作,作曲二昆都里石。  この曲は、すり鉢がすりこぎに愛着をしめしたものである。というのは、すり鉢は女性とされ、すりこぎは  男性とされてあるからだが、ここで関西風の家屋の構造を知ってもらわねば、男女の愛着の意味がピソと  こないのである。関酉の家屋は表戸を開けると裏まで通り庭になっていて、一番奥はかまどや膳棚、  それからはしり元というのがある。これば餅箱大のもっと深みのある箱形の物に四本の脚がついており、  中ほどに棚があり、箱形の中の隅に水はげの穴があいていて、この中で食器の洗い物をしたり調理もする。  さてすり鉢は昼間使い遺が多いので、すりこぎを入れたままになっているが、夜はすり鉢は棚の上に伏せられ、  すりこぎはしり元の横につり下げられて別々にされる。肝心の夜は別々なので夜のない国はないものかと嘆く  というまことにうまい言い回Lである。この曲はこれだけならしごく簡単だが、本調子物の『れん木』、  六下リ物の『せっかい』(すり鉢の中の味喀などかき取る、鳥のような形をしたさじ)と三都曲となっていて、  歌詞も曲も違っていながら合奏ができるという、地唄の技巧の研究のほどがよくわかる。

地唄「十三鐘」

昨日は今日の一昔、憂き物語と奈良の里、この世を早く猿沢の、(合)水の泡とや消え果ててゆく、 後に残りしその親の身は、逆様なりし手向山、紅葉踏み分け小牡鹿の 帰ろ鳴けど帰らぬは  死出の山路に迷ひ子の、敵は鹿の巻筆に
ヨ、せめて回向を受けよかし。
サェ頃は、弥生の末っ方、よしなき鹿を過ちて、所の法に行はれヨ、蕾を散らす仇嵐。
サェ野辺の、草葉に置く白露の、もろき命ぞはかなけれ、(合)父は身も世もあられうものか。 せめて我が子の菩提のためと、子ゆゑの闇にかき曇る、(合)心は真如の撞鐘を、一つ撞いては、 独り涙の雨やさめ、二つ撞いては、再び我が子を、三っ見たやと、四っ夜毎に、泣き明かす、 (合)五っ命を、代へてやりたや、六っ報いは、何の鋲めぞ、七っ涙に・八つ九つ、心も乱れ、 (合)問ふも語るも、恋し懐し、我が子の年は、十一十二十三鐘の、鐘の響きを聞く人毎に、 可愛い、可愛い、可愛いと共泣きに、泣くは冥土の鳥かえ。


〔解説〕 作詞近松門左衛門(「歌系図」)。 歌祭文「奈良の都傾城十三鐘数へ歌」とほぼ同詞章。作曲湖山金四郎作曲、山本喜市改訓(「歌系図」 )。曲種三下り芝屠歌。半太夫物とも。初出文献正徳(一七一一〜一七一六)以前の刊 と思われる『古今端歌大全」(増補版『吟曲古今大全」)に、「南都十三鐘」 として初出。目録に、「数へ歌」と分類されるのは、歌祭文を原拠とするためか
歌意・「十三鐘」は奈艮で六つと七つとの問についた鍾であるが、十三歳の子供が春日神社の鹿を 殺したため、十三鐘がつかれる時刻に、石子詰の刑を受ける。その鐘を聞く母親の嘆きを歌ったもの。
補説・歌舞伎狂言としての原拠は未考。元禄十三年(一七〇〇 )大坂岩井座所演の「南都十三鐘」に何らかの縁があるか。 ただし、この狂言がこの年の初演とすると、近松作の可能性は薄い。 『元禄歌舞伎小唄番附尽』にも、「南都十三鐘」は収録されている。なお、「妹背山女庭訓」にも、 同様な趣向がある。半太夫物ともされるが、「金五郎」 などと共通する三味線の手があるためか。別に、『古今端歌大全』には、「髪すき十三鐘」 という替歌が収められるが、「髪すき曽我」を「十三鐘」にもじったものであり、他にも、寛延四年 (一七五一)刊『琴線和歌の糸』などに、「かはり十三鐘」という替敬も収められる。



義太夫「しゃべり山姥」

紙衣の袖に置く露と、ともに離れし妹背の中、あはれ昔は全盛の 松の位も冬枯れし、風呂敷包み行く先は、知らぬ旅路にとぼとぼと、築地の陰に休らへば 「ヤァ珍しい三味線、なんぼ大内方でも」 洒落 の浮世に廻り来る、車寄せより立ち聞けば 「ハハァ、不思議やあの小唄は、わが身廓にありし時、坂田の蔵人時行殿に馴れ初め、作り 出せし替唱歌、かの人ならで誰が伝へた懐かしや、どうぞ一目見たいものじゃ」 と出放題に声張り上げ 「サァサァこれは難波の遊女町に、誰知らぬ者もない傾城の祐筆。 濡一通り状文なら恐らく私が一筆で、叶はぬ恋も仮名書筆、ひらり しゃらりのかすり墨、生娘、遊女、妾者、後家、尼、人の女房まで段々の書き分けは、私が家の伝授事。もしそんな御用ならお頼みあれ」 とぞいひ入れたる。「ハァ御用とはなにならんお目もじさまに」 と夕顔の、庭の飛び石、 すなすなすな、ちょこちょこちょこと奥座敷へ、なんの遠慮も並ゐたる。 内裏上揩ノ場うてせぬ。いづれそれ者と見えにけり。「アァどなたかはお優しいお詞。お尋ねなくともいひたうて胸のたぐる 折しも。
さらばお咄しまうしませう。 恥ずかしながら私が昔うき河竹の 傾城、萩野屋の八重桐とて太夫仲間の立者と、いはれしほどの全盛の 末も遂げぬ仇恋に、登り詰めてこのとほり。夜な夜な変わる大尽の、 中にも坂田の某とて、水揚の初日より、ふと逢い初めて丸三年、なにが互ひの浮気盛り、登るほどに登るほどに、利天の中二階、夜昼なし の床入りに、かけ鯛様と異名を受け、水も漏らさぬ中なりしに、また 同じ廓に小田巻といふ太夫、かの男に行きつきて毎日百通二百通、書きも書いたり痴話文は、大方馬に七駄半、船に積んだら千石船、 車に載せたらえいやらさ、木遣りでも音頭でも、祈っても呪うても微塵 けもない二人が中。 いよいよ募って逢ふほどに、小田巻大きに腹を立て 忘れもせぬ八月の、十八日の雨上がり、月は山より朧染めの、襠ひらり ととって捨て、白無垢一つに引っしごき、はぎもあらはに駈け来たり、私 が膝にふうわりとんとゐかかって、『これ八重桐、あんまり見られぬぢゃぞ や、サア男をたもるかたもらぬか、否か応か応か否か、二つに一つの返答 が聞きたい』と、胸づくしを引掴む。 こっちも一期の大事ぞと弱みを見せず 、『コリャ小田巻とやら管巻とやら、光は喰はぬ出直しや。この広い日本に かの人ならで男はないか。よしないにせよあるにせよそれほどゆかしい男 なら、なぜに先に惚れなんだ、男盗人いき傾城』 といひざま取って投げつく れば明障子打破り、継三味線を踏み砕き、縁より下へころころと、這い柏槙までこけかかり、木?南天めっきりめっきり、切石の上へ真俯向け、鼻血は 一石六斗三升五合五勺。『そりゃこそ喧嘩が始まった。大事のこっちの太夫 さんにひけをつけては叶ふまい。加勢をやれ』 といふたほどに、遣り手、引き舟、仲居、飯炊、出入りの座頭、按摩取、巫女、山伏に占屋さん、雪駄 片しに下駄片し、草履掛けで来るもあり、台所から座敷まで、『太夫の 仕返し』 と、あそこでは叩き合い、ここでは打ち合ひ踊り合ひ、茶棚竃、煙草盆、あたる物を幸ひに、打ちめぐる打ち割る、踏砕く。めりめりめり ぴしゃりと鳴る音に『そや地震よ雷よ、世直し桑原々々』 とわれ先にと 逃げ様に、水たご盥にこけかかり、座敷も庭も水だらけになるほどに、『南無三つなみが打って来るわ。なう悲しや』 と喚くやら、秘蔵の子猫を 馬ほどな、鼠がくわへて駆け出すやら、屋根では鼬が踊るやら、神武以来 の悋気争ひ、この事世上に隠れなし。アァあんまりしゃべって息が切れた。 コレお茶一つ下さんせ」 とぞ語りける。 あら不思議や切り口より焔の魂女房が、口に入れば 『うん』 とばかり そのまま息は絶えてけり。「ヲォさもそうずさもあらん。わが魂は玉の緒の、御命つつがなく、行く末 待たせましませ」 と姫君に一礼し 「今よりはわれいづくをそこと」 白妙の、三十二祖の顔も怒れる眼もの凄く、島田ほどけて逆様に、たちまち夜叉の鬼瓦唐文、楼門四つ足門、堀も築地も飛び越え跳ね越え 跳ね越え、飛び越え、雲を分け、行方も知らずなりにけり。




地唄 「名護屋帯」
歌詞
逢ふて立つ名が、立つ名の内か、逢はで焦れて立つ名こそ、ま
こと立つ名のうちなれや。思ふ中にも隔てのふすま、あるに甲斐なき捨小船。
思や世界の男の心、わしは白波うつつなき。夜の寝ざめの其の睦言を
思ひ出すほどいとしさの、ぞっと身も世もあられうものか。締めて名護屋の
二璽の帯か。三重廻はる、深山鶯鳴く音にほそる、我は君ゆへ焦れて細る。
あ・浮世。昔し忍ぷの恋衣。


[解説」
二世嵐三右衛門作詞、山本喜市作曲 それを尾形検校が改めたもの。
名護屋帯になぞらえて遊女の気持ちを述べたもので、二上がりの端唄です。


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