地唄の解説ー10
   
おちゃ乳人  
おぼこ菊
 縁の綱 
 三国一 
寿 袖香炉 十二月 流しの枝
文月 重ね扇 ひなぶり


地唄 おちや乳人

おちや乳人のくせとして、背に子を負ひ寝させておいて、亥んの子、亥んの子 と云ふだものは、目なかけそ。よの、花の踊はな、扨て花の踊をひと踊り。  こヽな子は幾歳、七になる子がいたいけな事云ふた、殿か裕しいと唄ふた、 ても扨て、和御寮は、誰人の子なれば、定家蔓か、離れがたやの、離れ難やの、 川舟に乗せて、連れて去のや神崎へ神埼へ。 へても扨ても和御寮は、踊り子が見たいか、踊り子が児たくば北嵯峨へ御座れの。 北嵯峨の踊りは、つづら帽子をしゃんと着て、踊る振りが面白い、吉野初潮の花 よりも、紅葉よりも、恋しき人を見たものよ、ところどころお参りやって、疾う下向められ、 咎をばいちゃか、負ひまゐらせう。

〔解 説〕本調子。作詞作曲者不明。元禄期の子守歌狂言小舞謡「7つになる子」(北嵯峨とも)に拠る。「ここな子はいくつ、・・」から舞う場合「七ツ子」と称する場合もある。 「おち(御乳)」は貴人の子の乳母「御乳人(おちのひと)の略で「めのと(乳母)」も同じ。本曲の原拠となった元禄期の子守歌は近松門左衛門作「賀古教信七墓廻」におちやめのとの癖として・・」 とある。古風でのどかでしかも艶やかな曲。舞も軽妙、洒脱な振りがつけられている。(「日本舞踊曲集成A」より抜粋)


地唄 おぼこ菊

いろそめぬ あどなきにわのもみじばを 風が吹きあげ落葉の帯を 結びさげたる松のつた しぐれ振り袖かざしもせいで 顔は照葉の山桜 にくみとてもにくまれぬ。
地唄 縁の綱     
 春はいつ命に降らるる雪よりも、情無き人の冷たさを、歌仙も諌み詫びて弥猛 叱の恋すてふ
(合)、碁すや金の音を、差す手引き舟、磯へも寄せず[合」、沖に ゆらゆら由良の戸を、おっと取舵、合点ぢや、えいか、よう候、のんこ、帆を巻 きたての舟歌は、丸に三つ引き恋風や、君に逢ふ身の替紋は、色の司を求めん手 管、仲を隔つる艇の菊、咲きしも憎や、タ照りに顔は紅葉の恋の鬼(合)丹波 大江の山よりも、勝る思ひや、八雲立つ出雲八重垣、妻最は、どこへ結ばん縁の綱。


〔解 説〕峰崎勾当作曲の端歌物。  作詞者は由良求馬で、『歌曲時習考』には丹波星七兵衛改名とある。おそらく蜂崎 勾当を取り巻く粋人の一人かと思われる。歌詞の中に「由良」や、丹波屋ゆかりの大江山など、自分の名前を歌い込んで、掛詞や縁語をふんだんに用いながら、客人を操る芸妓の手段や技巧と、これを落籍しようとする遊客の駆け引きが歌われている。  なお、この曲で舞を舞った芸妓は、直ちに落籍されたと伝えられている。

上方唄 三 国 一 
三国一のさあさあ、富士山、また  つばきの、おいやあ、千代までもと契りしに,  西国巡礼さあさあ、御詠歌、父母の、おいめぐみも深き粉河寺。  さりとはつらやさあさあ、さなから、たらちねの、よい、うらみも深きふくれ面。


地唄 寿
明け渡る、空の景色もうららかに 遊ぶ絲遊名残の雪と、謎を霞にこめ てや春の、風になびける青柳姿、緑 の眉か朝寝の髪か、好いた枝ぶり慕 いて薫る、好かいでこれが梅の花、 宿る鶯、気の合うた同士、変らで共 に祝う寿。

地唄 袖香炉 
春の夜の、闇はあやなし、それかとよ、香やはかくるる梅の花、散れど薫りはなほ残る。 袂に伽羅(きやら)の煙り草。きつく惜しめどその甲斐も、なき魂衣(たまごろも)ほんにまあ、柳は緑、紅の、 花を見すてて帰る雁。

解説 [作曲]峰崎勾当 [作詞]飾屋治朗兵衛  二上り端唄
1785年に没した峰崎勾当の師豊賀検校を追善して、伽羅の香をたく様を詠う。
訳 春の夜の闇は、梅の花を隠して見せないけれども、香りは隠すことは出来ない。花は散っても薫りはなお残っている。故人は亡くなってもその衣服の袂に、伽羅の香りが漂っているように、その名は消えない。大変惜しんでみたが、今更その甲斐はない。ホントにまあ、柳は緑、花は紅と楽しめば楽しめた世の中を、どうして黄泉の国に旅立ってしまったのか。それは時節が来れば、咲いている花に背を向けて、帰るべき国に飛び去って行く雁のようなものであるのか。


上方唄 十二月

とんとんとん まづ初春の 暦開けば 
心地良いぞや 皆姫はじめ 一つ 正月 
歳を重ねて 弱いお客は つい門口で
御礼申すや 新造禿は 例の瓦器 取りどり
なずな七草 囃立れば 心行き行き ついお恵比寿や 
じっと手に手を 注連の内とて 奥も二階も 羽根や手鞠で 
拍子揃えて 音もどんどと 突いてもらえば 骨正月や
こたへかねつつ 行く如月の 漏れて流れるる 
水も薪や 能恥かしや 
摩耶も祭りか 初午そうに 抱いて涅槃の
雲に隠るる 屏風の内で
床の彼岸や 聞くも聖霊  ああ良い弥生と 指で悪洒落 
憎とふっつり 桃の節句や 汐干と云うて
痴話の炬燵で 足に貝踏む 衆道月とて 高野御影供や さて水揚げの
疼き卯月も 後にや広々 釈迦も御誕生 息も絶間の 床の練供養 
撞くや夜明けの 鐘の響きに 権現祭
陽気浮気の 箒客とて なかや南を 掃いて廻るが 
煤取り 後にくたびれ ほんの餅月 早節分や 
穢れ不浄の 厄を祓うや 豆の数々 ちょっと三百六十四つ 
ついた一二三よ

(参)染川翫楽作 十二月 よしこのぶし
(参)小歌志彙集 十二月行事 文化二〜天保元
(参)日本音曲全集七(十二ヶ月)文化四〜五<

(参)十二月(上方唄)(桂米朝:艶笑上方落語/いろはにほへと)
(参)古本亭主


地唄 流しの枝 

行き暮れて 木の下陰を宿とせば そらに知られぬ雪ぞちり 花の枕に吹雪のしとね
憎や嵐の当てことを 聞いて流しの花の枝
合)ほんに男の気ばかり汲んで一夜丸寝の添臥も
言はぬ言ふにいやまさる 花や今宵の主ならまし

上方唄   「文 月」(ふみづき)

文月の星のあう夜をうらやみて、残る思いの蛍がり、
うちわの風も袖ふきて、面白いじゃないかいな、
稲穂ひろいで雁がね二つ、女夫くらすはなかたんぼ、土手の夜風にれんじまで、来てさんやれ、かすかに
紙ぎぬた。 誰そやあんどの影ゆれて、玉姫あたりの
狐火がちらちらと、見えつかくれつ、引け四つ過ぎからまぶの客、きやしゃんせ、空さだめなき、ひと時雨

上方唄   「重ね扇」(かさねおうぎ)

重ね扇はよい辻占(つじうら)よ。 二人しっぽり抱き柏、菊の花ならいつまでも、活けて眺めている心、色も香もある梅の花
解説 この唄は、五代目尾上菊五郎と彼の大阪の愛人、辻井梅とのことを唄い込んだものといわれている。

地唄  「虫の音」(むしのね)

思ひにや、焦がれてすだく、虫の声々、小夜更けて、いとど淋しき野菊にひとり、道は白菊たどりてここに、誰を松虫亡き面影を、慕ふ心の穂に現はれて、荻よ薄よ寝乱れ髪の、解けてこぼるる涙の露の、(合)かかる思ひをいつかさて忘りょ(合)とかく輪廻の拙なきこの身、晴るる間もなく、胸の闇、(合)雨の降る夜も降らぬ夜も、通ひ車の夜毎にくれば(合)逢うて戻れば一夜が干夜、(合)逢はで戻ればまた千夜、それそれ、それぢゃまことに、ほんに浮世がままならば、何を恨みんよしなしごとよ、(合)桔梗・刈萱・女郎花、我も恋路に名は立ちながら、独り丸寝の長き夜を、 (手事)  面白や千種にすだく虫の音の、機織る音のきりはたりちゃう、きりはたりちゃう、綴れさせてきりぎりす、ひぐらし、いろいろの色音の中に、別きて我が偲ぷ、松虫の声、りんりんりんりんとして、夜の声冥冥たり、すはや難波の鐘も明け方の、朝間にもなりぬべし、さらばや友人名残りの袖を、招く尾花もほのかに見えし跡絶えて、草茫々たる朝の原に、虫の音ばかりや残るらん、虫の音ばかりや残るらん。


地唄 ひなぶり
恋の重荷のナ、島之内、送り迎えに舁く籠の、誰であろうとして来いな。棒鼻に括りつけたる提灯の、日柄の約束してきたな。 高いも低いも色の道ナゑ、立てる立てんの息杖も、尽きぬ楽しみ、ええさあさ、さあさ押せ押せ夢の路なゑ。

〔解 説〕本調子端歌物で「歌系図」(1782年刊)には、茨木屋要助詞、八百六伊八作曲とある。「ひなぶり」は「鄙風」つまり「田舎風」の意味であるが「鄙振」や「夷曲」の文字を充てると宮廷に取り入れた古代歌謡を指す。 近世では狂歌の意で戯れに作った唄の意を通わせた題名。この曲ではそうした意味に上方方言の「火遊び」の意味を重ねて恋の火遊びをも意味している。 大阪の遊里島之内へ客を乗せて通う駕籠かきの陽気な姿を唄い、色里の情緒を描いたもの。



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